竹田恒和の過去の死亡事故がヤバい!超高額の示談金額や逮捕されない理由も

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JOC会長でIOC委員として知られる竹田恒和氏が過去について関心が集まっているようです。

2020年東京オリンピック招致の買収疑惑問題で注目されている竹田恒和氏ですが、過去には自身の運転する自動車で引き起こした交通死亡事故があり、事故原因とその後の行動に疑問を持つ声があります。

 

そこで今回は、およそ50年ほど昔の1974年(昭和49年)に竹田恒和氏が起こした交通死亡事故について調べてみました。

遺族に対する示談金、さらには逮捕されなかった理由についてご紹介していきます。

 

もくじ

竹田恒和のプロフィール

竹田恒和 過去

竹田 恒和(たけだ つねかず)

生年月日:1947年11月1日(73歳)
出身地:東京都
最終学歴:慶應義塾大学法学部政治学科
職業:実業家
日本オリンピック委員会(JOC)元会長
国際オリンピック委員会(IOC)元委員

竹田恒和氏は現在の令和天皇陛下である今生天皇明仁様の「はとこ」にあたります。

 

竹田恒和氏のご実家は元々は皇族の竹田宮家で、3男にあたる恒和氏も元・皇族かと思いましたが少々事情が違っています。

父親の元・竹田宮恒徳王が恒和氏の出生前に皇籍を離脱した為に、戦前生まれの他の4人の兄姉とは違って元・皇族だったという事にはならないそうです。

竹田恒和の過去の事故とは

竹田恒和 過去

竹田恒和氏は過去に交通死亡事故を起こしています。

1974年(昭和49年)10月22日、国体大会会場に向かう竹田恒和氏が運転する自動車が茨城県内で歩行者に接触する事故を起こし、事故に遭った22歳の女性が亡くなりました

 

翌日の読売新聞夕刊で『五輪馬術代表の竹田選手 女性はね死なす』という見出しで事故について報道されていた内容(被害者の名前は伏せています)は、

茨城国体に出場する東京都の馬術選手の乗用車が、二十二日夕、会場近くの茨城県稲敷郡新利根村で歩行者をはね、死亡させた。このため、東京都は、二十三日以降の全馬術競技の出場を辞退した。

二十二日午後五時ごろ、新利根村角崎の県道を歩いていた同村(住所なので伏せています)、会社員Aさん(二二)は、茨城国体馬術競技東京都代表、竹田恆和選手(二六)(東京都港区高輪三の一三の一)の乗用車にはねられ、頭を強く打って近くの病院に収容されたが、二十三日午前零時過ぎ死んだ。江戸崎署の調べでは竹田選手が対向車のライトに目がくらんだのが事故の原因。

竹田選手はIOC(国際オリンピック委員会)委員の竹田恒徳氏の三男で、馬術のミュンヘン・オリンピック日本代表。茨城国体には、二十三日午後の一般飛越競技に東京都の代表選手として出場するため、会場の同郡美浦村の馬術会場近くの合宿所に行く途中だった。

竹田選手の事故責任をとり、東京都チームは二十三日朝、この日以降の全馬術競技の出場を辞退することを決定、大会本部に連絡した。

報道によると竹田恒和氏は事故の責任を取る形でその後の馬術大会の出場はすべて辞退すると大会本部へ連絡したとされていました。

事故の影響で所属していた東京チームが連帯責任をとって、国体の出場をとりやめていた経緯もあります。

 

しかし、事故後もほどなくして馬術競技に復帰している竹田恒和氏。

死亡事故から2年も経っていない1976年開催のモントリオールオリンピックに出場しています。

 

そのことついて触れたスポーツ関係者の話では、

被害者と示談が成立したというのもあるでしょうが、竹田氏の場合はやはり宮家の威光というのが大きかったようです。

周辺の政界人脈が動いて、事故の影響を小さくし、すぐに復帰できるようにお膳立てしたようです。

復帰した時もほとんどマスコミには叩かれなかったようですね。

といった推測もありました…。

竹田恒和の示談金はいくら?

竹田恒和 過去

22歳の未来ある女性を死亡させた竹田恒和氏の運転による交通死亡事故で、被害者の遺族に支払われた示談金は1億円と言われています。

 

日本銀行公式HP内のよくある質問コーナー「教えて!にちぎん」の中で「昭和40年の1万円を今のお金に換算するとどのくらい?」との質問への解答を参考にすると、消費物価指数は4.2倍になっているそうです。

そのことから昭和49年当時の1億円を令和の現在の価値に換算すると、少なくても3倍程度の約3億円くらいの価値があると推測できます。

 

とはいえ、いくら1億円という多額の示談金を受け取ったとしても亡くなった女性を失ったご家族の心中を察すると複雑な気持ちになってしまいます。

事故を起こした竹田恒和氏はその後自らの手で自動車の運転はしなくなり、車での移動の際には妻や知人に運転してもらっているそうです。

竹田恒和が逮捕されない理由

竹田恒和 過去

竹田恒和氏が交通死亡事故を起こしても逮捕されない理由には、父親である元・皇族の竹田恒徳氏の人脈による見えないチカラが影響しているといわれています。

戦後に皇族を離脱した竹田恒徳はJOC会長とIOC委員を務めており、その後も3男の竹田恒和氏に受け継がれていく流れの中でJOCと竹田家は強い繋がりを持っています。

 

交通死亡事故を引き起こしてしまった当時の竹田恒和氏は、1976年開催のモントリオールオリンピックに向けて様々な大会へ出場して実績を挙げている最中でした。

息子の将来を見据えて、事故による影響を最小限に抑えるような働き父親の人脈によって行われたのでは?と推測されています。

 

被害者の遺族に対して1億円という金額での示談交渉が成立した背景には、元皇族・竹田宮家としての威光とそれに関わる人脈の見えないチカラが影響していると考えても不思議ではないでしょう。

バトミントンの五輪代表に内定していた選手が違法カジノに出入りしていただけで、無期限の競技会出場停止になり、リオ五輪の出場権を剥奪されたことは記憶に新しいですね。

 

違法カジノへの出入り死亡事故では起こした事態の大きさを比べたら雲泥の差であることは誰でも理解できるのではないでしょうか。

死亡事故後2年にも満たない時期に開催されたオリンピックに代表選手として出場したことにマスコミが大きく触れていない背景にはそういった闇の部分が潜んでいるかもしれません。

竹田恒和の事故の原因とは

竹田恒和 過去

竹田恒和氏が22歳女性を死亡させた事故が起きたのは、1974年(昭和49年)10月22日午後5時ころ

江戸崎署の調べでは運転中の竹田恒和氏が対向車のライトに目がくらんだのが事故の原因と報道されています。

 

季節的にも日が落ちる時間も早くなっており、当時は街路灯もあまり整備されていない場所も多かったと思われることからヘッドライトを点灯する車が行き交う状況だったことが推測できます。

しかしながら、対向車のライトに目がくらんだまま走行を続けたことも問題ですし、それを理由に人の命を奪う事故を起こしたとなれば、責任を問われない理由は絶対にありません。

 

運転免許を取得して自動車を運転する全ての人には、どのような理由があっても常に周囲の安全に十分な注意を払いながら走行する責任と義務があるからです。

まとめ

あらためて今回の内容をまとめます。

  • 竹田恒和氏は1974年(昭和49年)10月22日に茨城県内で自動車を運転中に女性をはねて死亡させる事故を起こしている
  • 竹田恒和氏は死亡させた相手女性の遺族と示談金1億円で和解している
  • 竹田恒和氏が死亡事故を起こしても逮捕されなかった理由は、示談が成立した意外にも父親の人脈による見えないチカラが影響したのでは?との推測がある

竹田恒和氏の東京オリンピック招致の買収疑惑問題も会見内容にはスッキリしない部分がありますが、過去に起こした死亡事故についてもなんだかモヤモヤが残る気がします。

最後までご覧いただき有難うございました。

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